いとひのFUT攻略記録

僕はこうしてうまくなった

闘争心もない

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 以前こんな記事↑を書いた

そして今は、前以上にやる気が無い。

もう三日くらいUTで試合してない。一応プロクラブはやってるけど、あれはUTで試合するのとは違う気がする。本当に闘争心が無くやってるんだ。でそんな心だからプレーもあんまりよくないなって思う。(心x技術=良いプレー いや違うか。心x理屈=技術の向上スピード上昇)

 UTの画面は開くんだけど、いざ対戦しようと思うと、とにかく試合で負けるのが嫌ってことが頭に浮かんでくる。

 なぜ急に闘争心が消えてしまったんだろうか?原因を考えてみる。

最近あったことと言えば、

・毎日続けてた英語学習をやめた(めんどくさいと思うようになった)

デオキシスの映画を見て、ポケモンとふれあうことにトラウマを抱えた少年(トオイ君)のトラウマ解消がテーマだったので、僕も人と繋がりを持つことが目的の1つになった。

・ぼっちざろっくを少し見て、ギターを買ってみた。(一人の趣味なところ、他者比較がなく始められそうなところがいいなと思って。で、やってみたら面白かったし心が晴れ晴れしている。)

 これらの事象を考察してみる。

 英語学習をやめたのは、将来のことを考える方を優先しようと思ったからだ。なぜなら心が宿らなければ向上スピードは悪いと知り、まずは夢を持とうと思ったからだ。でその夢がまだ定まってないから、英語を勉強することに大学に行くことに意味を見いだせないと感じていた。

でも、一応毎日やってたのは習慣化してやらないと気持ち悪くなるようにしてたからで、、、気持ち悪さはあったのにそれに対して「心があったほうが・・・」って言い訳にして。

結局自分を甘やかしてるだけなのかもな。そう、学校をやめて、勝ちたい人(能力が低いのに偉そうにしてくる人や尊敬できる近づきたい人)や監視してくる人(多少だが自分を尊敬してくれてた人)がいなくなって、やめてすぐに危惧した通り、自分にいくらでも甘やかせる環境に今はいたんだっけ。

 デオキシスの映画はどうか。

小学生のときに見た以来だったので、どんな作品だったかなぁ?と思い出そうとして借りてみた。

トオイ(白髪の少年)の、トラウマでポケモンに触れられないこと(本当は触れたいと願ってるし、周りの人間からもそれを期待されている。)、デオキシスの仲間との再会(作中ではデオキシスは二体存在し、二体は仲間だったのだが片方は封印された状態のため、動けるデオキシスが「どこにいるんだ?」って人間たちに悪者だと誤解されながらも健気に探す。それがあっての再会なのでなかなかに感動的☆)この2つがラストシーンでハッピーエンドであるため、僕は"心のつながる相手を見つけること"がこの作品のテーマな気がしたし、それがとても価値のあることのように思えた。

 

 

自分が忘れていた目的なんだよなぁ。

 「他者に打ち勝ち自分の存在を証明すること。」もしかしたらこれが、「人とわかり合い安心感を求め合うこと」とは対極の目的だから、闘争心がなくなったことにつながるのではないか?そうだな、確かに今、誰かに打ち勝ちたいという気持ちは全くない。

 なんだかもう答えが出てしまった気がするが、一応ギターを買ったことも考えてみよう。

 ぼっちざろっくは正直言って全然見てない。(二話くらいで切った。多分ぼっち特有の認知の歪みがある主人公がおもしろくて笑えるポイントなんだろうが、(←あくまで二話しかみてないので偏見であることは百も承知。見続けたらもっとはまる要素はあるだろう)僕も基本ぼっちだからか、特に異常性を感じられなかった。(普通の人は笑うんだろうなぁ。でも僕もこういうときあったし...みたいに冷めた目で見てしまう。)だからあんまり面白いと思えなかったんだと思う。(あくまで自分の場合は、なので。)

 でも、なにも感じなかったわけではなかった。自分が気になったのはあそこまで人とのつながりを避ける主人公後藤ひとりが、一人でも楽しめるギターって実際どうなんだろう?と。

(今作品思い返してみたら、人とのつながりが欲しくて始めたんだっけwそういえばギターの配信もしてたし全然一人の世界ではなかったのか。(少し落胆))

もともと僕ピアノやってたし、高校の音楽の授業でちょっとやったことあったから、マジの初心者よりかは楽に始められるかなって思ったのもあって、ハードオフで衝動買いし、家に帰ってyoutubeの初心者用動画見ながら弾いてみたんだけど、これがまぁ面白くてねぇ。

 なんで面白かったんだろう?(これはあんま考えたくないんだけどねwわかっちゃうと冷めるから)って考えると、人の目とかは全く介在してなくて...そう、単純に音がきれいに鳴るのが楽しかったんだ。だってギターだよ?あのかっこいい音が自分の手で出せるんだってのがどうもおかしく感じるくらい新鮮でw

まぁだから、ゲーム以外で心が満たせる趣味ができてそれで潤すことができてしまったからFIFAをやる意味がなくなってしまったのかな、と思う。(ちょっと恐ろしい結論ではあるな。いや、やる意味がなくなってしまった、て...)

 まとめにはいるが、「楽しい生活を送りたい」そう願うなら別に今のままゲームをやらなくなってしまってもいいのかなって思う。

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悲観的な僕は少し楽観的になった方が良いのだ、心からそう思う。またゲームをしたくなったらすれば良いし。(ここでのゲームをするというのは部活のスポーツ並みにゲームに打ち込むということ。xエンジョイ勢oガチ勢 エンジョイくらいならやめるつもりはない。)

 尊敬するプロゲーマーのときど氏の言うように、「いろんなことに手を出すのは物事の上達において得策ではない。」たしかにその通りなんだけど、本当にその通りなんだけど、、、「心のつながる相手を見つけること」とゲームは全然結びついてないし、プロ並みにはうまくなれない以上、「ゲームがいくらうまくなってもゲームをプレイしてる人たちからしか尊敬されない。」これらのことから打ち込む対象はゲームでない方がいいんじゃないかなって思った。

(そういえば、負けるのが嫌って思ったのは、もともとその気持ちはあったんだけどそれより自分の闘争心が上回ってたから感じなかっただけ、こういう理屈かと。)

 まぁあと、大事なのは「自分が何を願うか」ということ。なるようになる。でも逆を言えばなるようにしかならない。(忘れたけどなんかのエロゲーの台詞)

今自分はニートで、いくらでも自分を甘やかせる環境にいる。今の報酬を得るにはただ楽しいことをしていればいいだろうが、、、もうあとは書かなくてもわかるよな、俺。

ってことでだから、自分が打ち込む対象についてしばらく考えてみようと思う。考えがまとまってよかった。

 戦うのはもうあんま好きでは無くなってしまったけど、岡部さんの動画を見てドリブルについて考えるのは相変わらずおもしろいから、たぶんまたドリブル系の記事は書くと思う。きまぐれに。

 

それでは、このへんでノシ